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祈り 42

知識の領域を少しでも広めようとする努力、病める人を一人でも多く治してあげたいと思う心、死別の悲しみに暮れる人をもっと慰めてあげたいと思う気持、人生に疲れた人があなたという灯台を見つけられるように一層の輝きを増したいという願い──いずれも私たちがたずさわっている仕事なのですが──こうした真摯な祈りが何の反応もなく見過ごされることは絶対にありません(シルバーバーチの霊訓11 P112)
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祈り 41

時おり皆さんは自分の魂にとって為にならないもの、進化を遅らせることになるものを要求されます。それは叶えてあげるわけにはいきません。また時おりそれを手にするだけの十分な努力をしていないものを要求されます。それも与えられません。そして時にはそれを手にする用意のできたものを要求されます。それは、ここという好機をみて与えられます。このように皆さんが心に抱く祈りは、口に出さずとも神は先刻ご承知なのです。(シルバーバーチの霊訓12 P123)

祈り 40

“あなたはなぜ神に祈るのですか”

それは、私に可能なかぎり最高の“神の概念”に波長を合わせたいという願いの表れなのです。
私は祈りとは魂の憧憬と内省のための手段、つまり抑え難い気持を外部へ向けて集中すると同時に、内部へ向けて探照の光を当てる行為であると考えております。ほんとうの祈りは利己的な動機から発した要望を嘆願することではありません。われわれの心の中に抱く思念は神は先刻ご承知なのです。要望は口に出される前にすでに知れているのです。(シルバーバーチの霊訓7 P198)

祈り 39

目先の結果だけで判断してはいけません。あなた方は物質の目だけでご覧になっておられます。もし霊の目で見ることができれば、一人ひとりに完全な公正が行きわたっていることがお分かりになるはずです。私は時おり皆さんの祈りに耳を傾けてみることがありますが、もしも神がその願い通りになさったら、却って皆さんにとって好ましくない事態になるのだが、と思うことばかりです。(シルバーバーチの霊訓12 P166)

主の祈り

いわゆる“主の祈り”のことですが、あのような型にはまった祈りは人類にとって何の益ももたらさないことを断言します。単なる形式的行為は、その起源においては宿っていたかも知れない潜在的な力まで奪ってしまいます。儀式の一環としては便利かも知れません。しかし人間にとっては何の益もありません。そもそも神とは法則なのです。自分で解決できる程度の要求で神の御手を煩わすことはありません。それに、ナザレのイエスがそれを口にした時代から二千年近くも過ぎました。その間に人類も成長し進化し、人生について多くのことを悟っております。イエスは決してあの文句のとおりを述べたわけではありませんが、いずれにしても当時のユダヤ人に分かりやすい言葉で述べたことは事実です。(シルバーバーチの霊訓3 P220)
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