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神 15

人間的存在としての神は人間がこしらえた概念以外には存在しません。人間的存在としての悪魔も人間が発明した概念以外には存在しません。黄金色に輝く天国も火焔もうもうたる地獄も存在しません。そうしたものはすべて視野を限られた人間の想像的産物にすぎません。神は法則なのです。それさえ理解すれば、人生の最大の秘密を学んだことになります。なぜならば、世の中が不変にして不可変、全智全能の法則によって治められていることを知れば、絶対的公正が間違いなく存在し、宇宙の創造活動の大機構の中にあって一人として忘れ去られることがないことを知ることになるからです。(シルバーバーチの霊訓5 P155~P156)

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自由意志 29

確かに人間には自由意志が与えられております。が、その自由意志の範囲は魂の進化の程度によって規制されると申し上げたはずです。自由は自由です。が、その自由にも程度があるということです。自由は自由です。が、それも宇宙の法則、すべてを経綸している法則の中における自由だということです。宇宙最大の組織であろうと極小の生命体であろうと、その法則から逃れることはできません。何ものも神の摂理から逃れることはできません。完璧なのです。(シルバーバーチの霊訓5 P137)

永遠の霊的存在

鏡に映(うつ)るあなたは本当のあなたではありません。真のあなたの外形を見ているにすぎません。身体が人間がまとう衣服であり、物質の世界で自分を表現するための道具にすぎません。その身体はあなたではありません。あなたは永遠の霊的存在であり、全大宇宙を支えている生命力、全天体を創造し、潮の干満を支配し、四季の永遠のめぐりを規制し、全生命を生長と進化を統制し、太陽を輝かせ星をきらめかせている大霊の一部なのです。その大霊と同じ神性をあなたも宿しているという意味において、あなたも神なのです。本質において同じなのです。(シルバーバーチの霊訓5 P36)

神は法則 3

神は人間的存在ではありません。法則です。それが全生命を支配しているのです。法則なくして生命は存在しません。法則がすなわち霊であり、霊がすなわち法則なのです。それは変えようにも変えられません。そのところが理解できない人にとってはいろいろと疑問が生じるでしょうけど、成長とともに理解力も芽生えてまいります。神が善なるものを与え悪魔が邪なるものを与えるという論法ではラチがあきません。ではその悪魔はだれがこしらえたのかという、古くからのジレンマにまたぞろ陥ってしまいます。(シルバーバーチの霊訓12 P113)

日常生活・人間性

宗教家とか信心深い人は霊的に程度が高いという考えが、人間を永いあいだ迷わせてきたようです。実際は必ずしもそうとは言えないのです。ある宗教の熱烈な信者になったからといって、それだけで霊的に向上するわけではありません。大切なのは日常生活です。あなたの現在の人間性、それがすべてのカギです。祭壇の前にひれ伏し、神への忠誠を誓い"選ばれし者"の一人になったと信じている人よりも、唯物論者や無神論者、合理主義者、不可知論者といった、宗教とは無縁の人の方がはるかに霊格が高いというケースがいくらもあるのです。問題は何を信じるかではなく、これまで何を為してきたかです。そうでないと神の公正が根本から崩れます。(シルバーバーチの霊訓12 P209~P210)

三つの側面

人間生活には三つの側面があります。まず第一に霊であり、次に精神であり、そして肉体です。人間としての個性を存分に発揮するようになるのはこの三つの側面の存在を認識し、うまく調和させるようになった時です。物的世界にのみ意識を奪われ、物的感覚にしか反応を示さぬ人間は、精神的ならびに霊的な面においてのみ獲得される、より大きい、より深い、より美しい喜びを味わうことはできません。反対に精神的なもの、霊的なものばかりの瞑想的生活から生まれる内的満足のみを求め、この世の人間としての責務をおろそかにする人間は、一種の利己主義者です。(シルバーバーチの霊訓12 P210~P211)

真理 8

成長と発展と向上と進化にとって必要なものは過去幾世期にわたって啓示されてきております。それに素直に従いさえすれば、今この地上において、内部に宿された神性をより多く発揮することができるのです。偉大な指導者、地上に光輝をもたらした"霊の道具"は、根本においてはみな同じ真理を説いております。人間の霊性--各自に宿る不滅の資質に目を向けさせるべく地上を訪れたのです。言語こそ違え、みな人間のすべてが無限の魂、神の火花、宇宙の大霊の一部を宿していることを説きました。そして、素直に従い実行しさえすればそれをより多く発揮させてくれるところの指導原理も説いております。(シルバーバーチの霊訓3 P65)

因果律 39

いくら善人でも無知から霊的な罪を犯すことがあり得ます。たとえば、ここに一人の子供、とても気立ての良い子がいて、その子が炉の中に手を突っ込んだとします。炉の火は、その子が良い子であるか悪い子であるかにおかまいなく、その手に火傷(やけど)を負わせます。もしもその子に、火に手を入れたら火傷をするという"知識"があったら、手を突っ込むことはしなかったでしょう。ですから、この場合、火傷をするしないは知識の問題です。私が因果律の問題は魂の進化の程度によって決まるという言い方をするのは、そうした要素があるからです。因果律はかならず働きます。信仰とか願望にはおかまいなく働きます。(シルバーバーチの霊訓12 P213)

霊的な存在

地上生活を地上生活だけの特殊なものとして区切って考える習癖を改めなくてはなりません。つまり一方に物質の世界だけに起きる特殊な出来ごとがあり、他方にそれとはまったく異質の、霊的な世界だけの出来ごとがあって、その二つの世界の間に水も漏らさぬ仕切りがあるかのように考えるその習性から卒業しなくてはいけません。あなた方は今そのままの状態ですでに立派に霊的な存在です。死んでから霊的になるのではありません。違うのは、より霊的になるという程度の差だけであって、本質的に少しも変わりません。あなた方にも霊の財産であるところの各種の才能とエネルギーが宿されているのです。今からあなたのものなのです。肉体に別れを告げたあとで配給をうけて、それで霊体で発揮しはじめるというのではありません。今日、いまこうしている時からすでに宿しておられるのです。言わば居睡りをしながら時おり目を覚ます程度でしかありませんが、ちゃんと宿していることには違いありません。(シルバーバーチの霊訓3 P42~P43)

人のために尽くすこと 2

私どもにとっては"人のために尽くすこと"が宗教の全てなのです。人のために生きる者こそ最も神に近い存在なのです。そこに魂の存在価値があるのであり、人のためという願望を抱く者は自動的にこちらの世界で同じ願望を抱いている霊を引き寄せます。その人間を介して自分を役立てたいと思う霊が寄って来るのです。こちらの世界には地上で人類解放のために生涯を捧げた霊が無数におります。その気高い使命は墓場で終わったのではありません。霊の世界へ来てからの体験によってむしろその使命感を一層強烈に感じるようになります。霊界から地上世界を見ると悲劇と悪行が目に余ります。強欲と利己主義と略奪が横行し、改めねばならないことが無数にあることが判ります。そこでそんな地上を少しでも良くし少しでも美しくするために自分を役立てるための媒体として同じ願望を抱く人間を求めるのです。(シルバーバーチの霊訓2 P17~P18)

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