FC2ブログ

自殺

霊実在論を知れば、未来が開け、希望が戻ってくる 自殺はもはや選択肢の中には入らなくなる そもそも自殺によっては苦しみから逃れることはできず、かえって百倍も厳しい苦しみの中に落ち込むだけだということが分かるからである(アラン カルデック 霊との対話)
スポンサーサイト



本当の祈りが無駄になることは決してありません

だれか他人のために祈るのは効果がありますか?  そのとおりです 本当の祈りが無駄になることは決してありません 思考には力がありますから   心霊治療家が遠隔治療で祈る場合にも効果がありますか?  はい、あります いまあなたの質問では、治療家の個人に対する祈りについて答えてきましたが、この祈りは広く一般にもその効果が及ぶことがあります 祈りによって、心霊治療家の心霊エネルギーが放出され、そのエネルギーを霊界の支配霊たちが利用できるのです(霊訓原文64 武本昌三訳)

自由意志

人間には自由意志があり、そしてそれこそが人間の最も大切な特権なのです 神は人間をロボットとして創ったのではありません この自由意志があるからこそ、失敗もすれば、成功もするのです そして成功を続けていって完成された時、人間は最高の幸せに到達できるのです(アラン カルデック 霊との対話)

本当の祈りとは人のために奉仕できることを願う祈りです

祈るというのは大切なことなのでしょうか?  それはどのような祈りであるかによって違います 無意味なことばの繰り返しであれば、まわりの空気を少し振動させるだけでしょう しかし、神とできるだけ一体になり、神のみ旨に忠実に従っていくことを願って全身全霊で祈るのであれば、その祈りのゆえに、神のしもべとして、よりふさわしく強くなっていきます 祈りという行為は、自己をさらけ出し、こころを開くことによって、私たちすべてをひとつに結びつけていくものなのです  本当の祈りとは、人のために奉仕できることを願う祈りです 祈りとは、自分自身を霊界の高い霊力に同調させる手段です 私のいう祈りとは、誰かが意味もわからず書いたものをただ口先だけで繰り返すものではありません 魂が及ぶ限りの高さに達することを希求して、誠心誠意、熱心に祈る祈りのことです そのような祈りをして、はじめて、あなた方は霊感に満たされ、強くなっていくことが出来ます(霊訓原文63 武本昌三訳)

地上

地上とはしばしばとても大きな試練に満ちた場所であり、しばしばとても深い苦悩に満ちた場所であります 試練や苦悩に出会っている人々はそれらを甘受すべきでしょう 重い荷物を神から与えられている人々は全能なる神の善意の前に頭を垂れるべきです  大いなる苦しみの後にあの世において神のそばに呼び寄せられる人々は、幸福なあの世の生活にくらべれば、地上の苦しみ、苦労など、何ほどのこともなかったということを知るはずです 皆様、常に神様をたたえてください 心を尽くして神様を愛してください よく神様に祈ってください 強く神様に祈ってください 地上ではそれが支えとなり、希望となり、救いとなるでしょう(アラン カルデック 霊との対話)

すべての生命は神であり神はすべての生命です

創造する力のある存在または人格はただ1人だけであって、私たちには何1つ創造できるものはないというのは正しいでしょうか?  神は、現在も、過去も、未来にも、いつでもおられます すべての生命は神であり、神はすべての生命です あなた方には創造する力はありません ただ、あなた方が魂を磨けば磨くほど、浄化し進歩することはできます 磨くことが少なければ、あなた方の宇宙での地位は低いということになるでしょう(霊訓原文62 武本昌三訳)

地上で苦しんでいる人々

地上で苦しんでいる人々は、あの世において報われます 地上で苦しんだ人々に対し、神は正義と慈悲に満ちて接してくださいます 神は死後にかくも純粋な幸福とかくも完全な歓喜を用意してくださっていますので、死とその苦しみを恐れる必要は全くありません 神のご計画は本当に神秘的なものなのです(アラン カルデック 霊との対話)

だから私は善も悪もその両方を受け入れるのです

しかし、私たちはみんな善と悪との観念をもっています?  それは今もっている善悪の観念であって、霊的進化のなかで到達した段階を示すものにすぎません 魂がもっと向上していけば、その善悪の観念はなくなっていきます 完全な法則でも自己表現しようとするとき、それが道からそれてしまった不完全な媒体を通してしまうと不完全になってしまいます あなた方の善悪の観念というのは、そのようにして生じる不完全さを表したものにすぎません だから私は、善も悪も、その両方を受け入れるのです   それでは、神も最初は善ではなかったということになるのですか?  私は初めのことは知りませんし、終わりのことも知りません 私が知っているのは、神は常に存在し続けてきたし、これからも存在し続けるであろうということだけです 神の法則は完全にはたらきます 仮に、あなた方が完全な光をもっているとしましょう その光は、磨かれていないひどく曇った鏡にいくら映し出そうとしても、決して完全な光にはなりません しかし、だからといって、光が不完全であるといえるでしょうか 光が悪であるともいえないのです それは、魂には完全が内包されていても、その完全性をまだ表現する段階に達していないということです あなた方が地上で悪と呼ぶものは、不完全性のことであって、完全な神を不完全に表現しているものにすぎません(霊訓原文61 武本昌三訳)

正しい人間

神から見て正しいとされる人間になるためには、しんらつな言葉を避けねばならない しんらつな言葉には毒が含まれているために、相手を傷つけるし、またしばしば正しい人間を物笑いの種にしてしまうことがあるからだ 神から見て正しい人間とは、心の中に、ごうまん、嫉妬、野心の、どんな小さな種も持っていない人間のことなのだ 自分を攻撃してくる人間に対して、忍耐強く、優しくあらねばならない しかもそれを決して見せびらかしてはならない さらにあらゆる人間を愛し、そのことを通じて神を愛さなければならない つまり、人間の義務に関する、次の極めて簡潔で、極めて偉大な決まりを守るということ すべてにまして神を愛し、また隣人をみずからのごとくに愛すること(アラン カルデック 霊との対話)

生命というのは鉱石を砕いて苦労して取り出す金のようなものです

霊が自己表現している肉体は移り変わっているのですか?  そのとおりです 神の法則は完全です ただ、あなた方を通して表現されている法則は完全ではありません だから、完全な神の法則は、あなた方を通しては働かないのです しかし、あなた方が完全に近づけば近づくほど、それだけ神の法則はより多く働くことができるようになります  ここに、鏡とローソクの光があるとします 鏡はローソクの光を映しだしますが、その鏡がひどく曇ったものであれば、ローソクの光のすべてを映し出すことは出来ません その鏡を磨けば磨くほど、ローソクの光はより明るく映し出されることになります あらゆるものが絶え間なく精一杯の自己表現を目指しています 生命というのは、鉱石を砕いて、磨きをかけ、苦労して取り出す金のようなものです 鉱石はよくないもので金だけはいいものだと誰が言えるでしょうか(霊訓原文60 武本昌三訳)
プロフィール

fukjp99

Author:fukjp99
愛、奉仕

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR